仏心とは?仏心葬祭の仏心についてご紹介します。
仏心葬祭の仏心とはどういう意味?
私たちは仏心という広い海に浮かぶ泡の如き存在である。
生まれたからといって仏心の大海は増えず、
死んだからといって、仏心の大海は減らず、私どもは皆仏心の一滴である。
仏心には罪や汚れも届かないから、仏心はいつも清らかであり、
いつも安らかである。これが私たちの心の大本である。
仏心に生き死にははない。いつも生き通しである。
人は仏心の中に生まれ
仏心の中に生き
仏心の中に息を引き取る。
生まれる前も仏心、生きている間も仏心、死んでからも仏心、
仏心とは一秒時も離れていない。
亡くなられたらそこで終わりではないと考えております。
人としての命を終えた後に帰る場所が仏の世界(仏心)であり、葬儀は仏の世界に送る儀式です。
※人が無(ム)になると仏になるんだとお話される僧侶の方がいらっしゃいました。
転禍招福(てんかしょうふく)という言葉があります。
人が亡くなるとは悲しいことであり、気が枯れる(気枯れ)ことでもあります
神道では気が枯れることを穢れ(けがれ)と表します
非日常なことが起きるので禍(わざわい)と考え、-(マイナス)と捉える事もできます
葬儀を行う事で-(マイナス)から0にすることができると思います。
荒魂(あらみたま)を和魂(にぎみたま)にしていくのが葬儀から始まっていく追善供養(法事)です。
-(マイナス)分のエネルギーは決して無駄ではありません。
むしろそのエネルギー分、+(プラス)になっていくと思います。
良いお葬式は葬儀を終えた後、残された方の明日を生きる活力になると信じています。
まさに転禍招福(てんかしょうふく)です。
葬儀を行うにあたって、慣れないこともあり煩わしさから簡素にと考える方も増えています。
やらない事は簡単です。
しかし、やらないよりかはやったほうが良いと思う方が多いと思います。
お金がかかることだからこそ、少しでも負担が少なくなるようにと料金を設定しております
転禍招福、抜苦与楽の心意気=仏心であり、常に仏心を持ってお役に立つのが仏心葬祭の務めだと考えています。